マイストーリー

少女時代~誕生から中学生~

重ね煮をお伝えする活動を決めた私ですが
少しでも私のことを知ってもらうために
誕生から現在、未来に向かう私のことを
時代を区切って綴ってみました。

三人姉妹の長女として長崎で生まれた私は
長野県松本市の
北アルプス山脈に囲まれた盆地で
毎日この高い山々を見ながら育ちました。

2歳のころから
ジャンボ滑り台の急斜面を
滑走する怖いもの無しで、
頬を真っ赤にして外で遊ぶ
元気な田舎のおてんば娘でした。

普段の遊び場は路地や公園や田んぼ。
妹や近所の友だちと
ゴム跳びやおままごと、
田んぼでおたまじゃくし捕りなどして
毎日よく遊んでいました。

両親がいつも話すのは、私の根性について。

冬の田んぼで町内会の凧揚げ大会があった日、
どこまでも高く上がる凧を離すまいと
必死でたこ糸にしがみつき、
糸で手が切れて血が滲んでも
その場から離れなかった姿に
驚いた事。
あの我慢強さにはびっくりした、
と今も話しています。

我慢強さは学校行事でも発揮。
松本市ならではのスケート教室があり
生まれて初めてスケート靴をはいた私は
その日だけでトラックを120周!
帰ったら足の親指の皮がずれて
ひらひらしていたほど。
痛いのを我慢してでも
なぜそんなに頑張っていたのかよくわかりませんが
それだけの根気を持てたのは
母親譲りの真面目さと
毎日のおいしいごはんのおかげだったのかな。

食卓はいつも手作り料理。
お惣菜を買ってくるという発想のない
専業主婦だった母は
手間暇惜しまず
いつも台所に立っていた記憶があります。

手作りで言うと、
松本ならではの印象的な風景があります。

真冬に家の前の通りで
母が野沢菜漬けの仕込みをしていたこと。

ご近所さんも一斉に大きな樽で
野沢菜を凍るような水で洗い、
野沢菜を漬け込む姿は
大変だなあと子供ながら思っていました。

松本では来客があれば、
甘いお菓子ではなく自家製のお漬物をお茶請け
とするのが通常でした。
いい文化ですよね。

近所のおばさんが
ピアノを教えてくれたのをきっかけに
音楽が大好きになり
長野市へ引っ越した四年生の時小学校の合唱団に入りました。
パート練習で伴奏をすることもあり歌ったり弾いたり幸せでした。
合唱でハモるあの感覚は今でもたまらなく好きです。

2度目の転校で初めて長野を離れ、
小6から今も住む横浜に引っ越します。

中学生になり、
同じバドミントン部の
同級生2人と出会ったことが
一番の思い出。
毎日おしゃべりして
ふざけながら登校する時間が
たのしくて仕方なかったことを覚えています。

2人に引っ張られるように
勉強を楽しみ励まし合い、
無事に高校受験を終えます。
三人はそれぞれの道を進みましたが、
今でも大切なふたりは
わたしの尊敬する友人です。

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この記事を書いた人

ハナミズキ 橋本真弓

橋本 真弓
重ね煮アカデミー® 認定師範
「ハナミズキ」代表

双子の息子と娘の三人の子の母。かつては子供の中耳炎やアレルギーで毎週通院。強い薬を飲ませることに疑問を感じていた頃に「からだは食べているものでできている」ことに気づき、重ね煮に出会う。

「台所にあるもので家族を守る知恵」を学び、家族の体調不良や自分の花粉症が改善。夫は無理なく9キロ減量。
いまはその知恵を全国の人にお伝えしている。

 

 

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